プロフィール

「お前ら死ねよ。」と看護師に対して殺意に向けた思いをきっかけに、患者の家族を安心させれるような看護師を目指しました

はい!どうもこんにちは!福です。

YouTubeメインの活動をしていましたが、この度ずっとやりたいな〜と思っていたブログを開設しました!

現在はYouTubeで看護師さんや、看護学生さんに向けての動画を撮影していますが、YouTubeではまだ自己紹介をしていなかったので、今回簡単な自己紹介を書いていこうと思います!

最後までお付き合いして頂けると嬉しいです!

福の簡単なプロフィール

看護師を目指した理由

僕が看護師を目指した理由は結構単純なものでした!

その理由とは、

「親が高齢だったから、自分自身で介護をしたかった。」

というものです!

どういう状況かというと、僕の親は僕のことを40歳を過ぎてから産んでくれていて、僕が小学校に上がる時には50代に突入していました。

この年齢の親って大体20代〜30代が多いと思うので、結構特殊なケースでした。

参観日とかでも僕の親が1番年上で、そのことを嫌だなって感じたこともあります。。

そんな感じで色々なことを考えていた小学校時代に、母親がぎっくり腰で入院することになりました。

当時は父親が救急車を呼んでくれたのですが、母親が痛みで動けなくなってしまっていて、僕はどうすることも出来ずに、父親と病院に向かいました。。

結果的に母親が早期に退院をしたのですが、その時に、

「親に何かあった時に自分がしっかりしないと。」

と感じたことが大きな僕の分岐点でした。

そこから漠然と、日常的に世話を出来るイメージの介護士を目指していたのですが、ある時に大人の事情に気付きます。

それは、

「介護士より看護師の方が給料が高いこと。」

です。笑

その事実を知って、どうせなら給料の高いところで自分も幸せになりたいなと思って、看護師に夢を変えました。笑

(これを小学生の時に気付いて本当に良かったな〜って思っています)

部活に明け暮れた中学〜高校時代

その後は順調に年を重ねたのですが、小学校から行なっていたサッカーにどハマりします。

小学校の5年生から始めたサッカーも、中学は何故か先生に気に入られ、副部長になりました。

そして、高校もサッカーの推薦で合格し、進学校に入学することが出来ました。

この時には将来のことは全然考えず、ひたすら部活に専念し、高校ではキャプテンを勤めたりもしました!

(下手だった小学校の時から考えられないほどの状況で、周りの人に恵まれてとても幸せな部活生活でした。)

そんな感じで過ごしていた高校2年生の1月に衝撃的なことが起きました。

父親が脳梗塞で倒れたのです。

そのせいで左半身に軽度の麻痺が残り、入院をすることになりました。

年頃の男の子は父親に反発することもありますが、父親はずっと僕の決断や、意見を尊重してくれていて本当に大好きでした。

この時は脳梗塞自体リハビリをしていけば、良くなると病院からも説明があり、安心していたのですが。更に不幸が重なります。

それは、

「大腸ガンの発覚」

です。

父親が検査をした際に大腸ガンが見つかりました。。

その時はもう発見が遅く、脳梗塞の治療をすると、大腸ガンが進行して、大腸ガンの治療をすると、脳梗塞の治療が出来ないと説明を受けました。。

その時にも余命宣告され、早ければ3ヶ月くらいで亡くなる可能性もあるとのこと。

僕は絶望して何も考えられなくなりました。

面会ばかりの毎日に起きた衝撃的な出来事

そこからは高校の部活が終わった後に毎日病院に行き、父親に会って面会をしていましたが、絶食になって、どんどん痩せていく姿がそこにはありました。

入院が進むにつれて、慢性期の病院に移り、IVHなどで治療をしていったのですが、そこに移っても、面会にずっと行き、マッサージをしてみたり、背中をさすったり。

高校生の僕なりに出来ることをしていきました。

そしてある時、こんな出来事がありました。

僕が面会に行くと、病室から看護師さんの声が聞こえたのです。

それは、

「え〜またお通じ出てるよ。臭くて最悪。」

という父親のオムツ交換をしている声です。

この頃は父親もあまり会話を出来ない感じまで弱っていたのですが、その中でも家族が来る可能性もあるのに、こんな会話をすることに死ぬほど腹がたちました。

「こいつら死ねば良いのに。」

と思うくらい感情的になりました。

「クソだな。」

と怒りをぶつけようとしたのですが、ここで感じたことがあります。

「あっここで僕が怒ったら、僕がいない時にお父さんがいじめられちゃうかもしれない。」

ということです。

そんなことを考えてグッと我慢して、オムツを変えてくれた看護師さんに、

「いつもお父さんのお世話をしてくれてありがとうございます。」

とお礼をいって、その場を離れて泣きました。

この辺りから、

「お父さんがいじめられないように手厚く面倒をみて貰うためにはどうしたら良いのだろう??」

と考えるようになりました。

そうして僕が考えたのは、

「高校生の子供がいる患者ということをアピールして、僕が看護師さんに毎回挨拶をして、お礼を言えば、看護師さんも少しは父親のことを大切に扱ってくれるかもしれない。」

ということです。

今考えると、効果があったのか分からないですが、面会の度にナースステーションに行って、

「お父さんをいつもお世話してくれてありがとうございます。迷惑をかけちゃうかもしれませんが、お願いします。」

と挨拶をしました。

来たタイミングと、帰るタイミングで2回。訪室した看護師さんには必ず話しかけて存在をアピールしました。

「父親を守りたい。」

という気持ちと、同時に、

「あんなひどいことをした看護師に父親の面倒をみてもらうのではなく。自分が働いていれば、もっと父親を守れるのに。」

という怒りに近い感情を持っていたと思います。

この時の経験は、人のことを観察する癖や、どうしたら相手に自分が望むように動いて貰うかという現在の行動に繋がっているのかなと思います!

そして父親は初めの余命宣告よりはるかに長い10ヶ月の闘病生活を経て僕が高校3年生の時に亡くなりました。

本当に頑張ってくれたと思います。

家族が安心して患者を預けれるような看護師になりたい

この経験から、

「家族が安心して患者を預けれるような看護師を目指そう」

という思いを持つようになりました。

そして受験勉強を頑張り、4年制の大学に行き、現在僕は呼吸器と、腎臓系の疾患を抱える患者さんが多い病棟にて勤務をしています。

よく聞かれることで、

「福さんは何年目なのですか??」

という質問があるのですが、まだ2年目です。

2019年4月に3年目となるひよっこです。

動画では偉そうに話していますが、実際は全然仕事も出来ないですし、仕事を嫌だな〜って思うこともたくさんあります。

ですが、現在の僕が辛くなった時には父親のことを思い出すようにしています!

父親は本当に仕事人間で、仕事が大好きだったのですが、僕も看護師という仕事に加えて、今看護師さんや、看護学生さんに向けて動画を撮ったり、記事を書くことが大好きです。

そんな仕事を通して、誰かの役に立つことが出来たら天国の父親もとても喜ぶと思います。

(ビールでも飲みつつ、ゆっくり動画を見ていてくれているかな?笑)

皆さんは看護師についてどういうイメージを持っていますか??

僕はあの時の悔しい思いを患者の家族にさせないようにこれからも働いていきます。

そして、父親が誇れるような子供で入れるように色々なことを頑張っていきたいと思います。

辛い時や、自分が何をすれば良いか分からなくなった時に寄り添える発信をしていきたいので、これから宜しくお願いします!

動画を見て頂き、チャンネル登録をしてくれると本当に喜びます!